歴史について

心海寺の歴史

心海寺は山号を普海山を称し浄土真宗で京都東本願寺の末寺である。正保四年(1647)の創建で、開基は本多九八郎忠峯である。
 本多九八郎忠峯は徳川家康の家臣で、三河国(愛知県)佐々木を領し、天正15年(1587)和泉国(大阪府)境を領した。天正18年(1590)の小田原攻めに、家康に従って戦いに参加し、負傷して以来仏門に入って峯山と称した。出家後は品川の海辺に草庵を作っていたが、慶長五年(1600)本願寺十二世法主教如上人が家康の上野国(群馬県)小山出陣にあたって陣中見舞いに下向した際、品川の草庵に立ち寄って峯山を化導した。

峯山はこのときから教祖聖人の法弟となり、教祖の一字をもらって教山と改めたといわれている。心海寺の寺号も教祖聖人の命名といわれている。南馬場の通りに面した山門を入ると、すぐつきあたりに本堂があり、本尊は木造の阿弥陀如来像である

京都から奉持してきたという寺伝は信じることができ、中世末期の仏像として、形成・面相ともよく整い、彫りもしっかりしています。当寺には数十点に及ぶ近世文書が所蔵されており、浅草本願寺や京都本願寺との関係を示すものが多い。これらは、寺院経済の実情や本末関係・地域社会との関係を示すものとして資料価値が高いとされている。これらも品川区文化財に認定されている。

又、明治初期に当山11世住職の本多敬友が北海道に真宗を布教する為に東京から行ったと記されている。品川から東北の道を通り北海道の函館別院の建立に尽力を尽くしたとされている。その記録は品川区の歴史資料に記されている。

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過去のお知らせ一覧

寺院について

品川にある真宗大谷派の心海寺です。
古くから品川に寺院があるので、地域の方々と交流の深いお寺であり、
品川駅から5分、羽田空港から15分で参ることのできるアクセスの良いお寺で御座います。
寺の隣には常時車を10台程度おけるスペースはございます。

墓地について

墓地は寺の境内地にあり、常日頃私達が管理させて頂いております。
お墓もサイズに応じてまた向きや場所もある程度は紹介することもできます。又新馬場駅から徒歩3分のいちにあり、